Hi, I'm Itsuo Terasaki 寺前逸雄!

ここでは、私が訪れた、日本とカナダ以外の地域で、印象に残った風景、改めて今、残像として記憶に残したいと思う風景の写真を、一部補正したものも含めご紹介します。私が美しいと感じるモノがここに画像として残されたと思っていただければ幸いです。Here I will introduce some photos, some of which have been partially edited, of the landscapes that made an impression on me in the areas outside of Japan and Canada that I have visited, and the landscapes that I would like to leave in my memory as afterimages. I hope that you will find the things that I find beautiful preserved in the images here.

Portugal/Risbon ポルトガル・リスボン
トロントに住んでいた時に、何度かヨーロッパに行きました。北米の東海岸からヨーロッパは、大西洋を挟んで飛行機で5時間もかからないので、学生なども気軽に遊びに出かけていきます。ポルトガルは、ヨーロッパの田舎といった印象で、親しみやすく、大航海時代からの遺産の中で生きているといった風情が感じられ、日本の演歌に通じるところもあると感じられる「ファド」の哀調を帯びた歌をライブハウスで聞いて感動したのを思い出します。カナダ、トロントの整然とした街並みに物足りない気持ちもあった私には、リスボンの街なかを歩き回るのは無上の喜びでした。
Portugal・Nazaréポルトガル・ナザレ
漁師町であり、ビーチリゾートとしても有名なナザレに行こうと思ってリスボンから列車に乗ったら、(今ではそんなことは行われていないかと思いますが)民宿のおじさんが車内で客引きをしていて、強引さに負けて、現地に着いてからホテルを探すのも面倒ということもあり、そのおじさんの民宿に泊まることにしました。おかげで、たどたどしい英語でしたが、おじさんからナザレのことを教えてもらったり、案内してもらったりして滞在を楽しむことができました。素朴な漁師町の雰囲気が残っていて、伝統衣装を着たおばあさんが物売りをしていたり、今でも変わっていないのかなあと気になります。あちこちで、干してある魚の干物を売っていたり、レストランでも、当たり前に焼魚を注文できるので、トロントの日系食料品店で仕入れた粉末のお醤油をかけて、カナダでは想像すらできない、レストランでの焼魚を満喫しました。ナザレはまた行きたい。(列車だとリスボンから2時間ちょっとくらいかかります)
Portugal ポルトガル・Tavilaタヴィラ(アルガルベ地方)
リスボンから南下して地中海に近づいていき、そこから東へ進んでいくと、スペイン国境までがアルガルベという地域になります。途中で、綺麗なビーチがあるリゾート地で漁師町でもあるタヴィラという街で列車を降りてみました。この地域はリスボン周辺とは雰囲気が全く違い(歴史的、文化的にも独自のものがあるようですが)哀愁を感じさせるような空気はなく、地中海沿いの明るいリゾートといった表現がぴったりくるような場所でした。タヴィラの街は散策にちょうど良い規模で、ローマ時代の橋など歴史的建築も多く、街歩きを楽しみました。そしてこの後、フェリーでグアディアナ川を渡り、国境を越えてスペインのアンダルシア地方に入ります。
spain スペイン/sevilliaセビリャ(アンダルシア)
ポルトガルの地中海沿岸地域、アルガルベから国境を越えてスペインのアンダルシア地域に入りました。最初の主要都市、セビージャ(セビリア)で、数日過ごしましたが、一番うれしかったのは、シエスタの時間が過ぎて夕方になると、街の人たちがみんな出てきて、散歩がてらバーホッピングをし始めることです。私も、毎夕、人波に紛れて数軒のバールを廻り、2~3品のタパスをつまんでカウンターで地元の人たちとワインを飲んだのを思い出します。イタリアもそうですが、飲酒文化が地域に根付いていて、地元のおばちゃんが店のタパスを夕飯のおかずとして買いに来て、持参の食器に入れてもらって帰っていく光景が、アングロサクソン系の、飲酒を制限する文化が根強い、英語圏のカナダから来た身にとってはとてもうらやましかったです。京都辺りの地元密着の居酒屋さんなんかでは、近くのおばちゃんが店に「おばんざい」を買いに来ることはありますけどね。
Spain スペイン/Granadaグラナダ アルハンブラ宮殿
ポルトガルからスペインに入って、セビリアの次に訪れたのがグラナダでした。ビルの外壁の意匠などにもイスラムの雰囲気が感じられ、レコンキスタでも最後まで残ったイスラム文化の砦であったことを感じることができました。アルハンブラ宮殿が、破壊されず、大部分が現在に至っていること自体が、多文化の施設を破壊した上に教会等の宗教施設を建設するというようなことが当たり前に行われてきた世界の歴史の中で、特筆すべき他文化の尊重だろうと考えます。イスラムのにおいがそこかしこに漂う旧市街をブラブラ歩き回るのは興味深く、楽しい体験でした。
Itary/siena イタリア・シエナ
イタリアではローマから列車でフィレンツェに移動し、そこから南へ50㎞ほどのシエナを訪ねました。中世にはフィレンツェと覇を競った都市国家だったこの街は、その頃から時が止まったような中世の面影を残す城壁都市です。トスカーナ丘陵に囲まれた人口5万人ほどのこの街は、私が今まで訪れた中で最も美しい街の一つです。クリスマスが近づくころに夕暮れの街を、時代感覚をなくした状態で、店から漏れる光を頼りに歩き回ったのを思い出します。
Itary/Venice イタリア・ベネチア
当たり前すぎて面白くもない表現ですが、ベネチアはどこを切り取っても絵になる街でした。運河がめぐらされた中世都市がそのまま残っているのですから当然のことでしょう。ごみ収集や霊柩車の役割もボートが担っているのには驚かされましたが…そしてここから夜行の寝台国際列車に乗ってバルカン半島を南下してギリシャのアテネへ向かったのでした。
Greece/Rhodes ギリシャ・ロードス島
1990年頃、イタリアのベネチアから夜行列車に乗って、当時まだユーゴスラビアだったベオグラードを通ってアテネまで行きました。そこからは飛行機でエーゲ海の端っこ、ロードス島に飛び、レンタルバイクで島を一周し、ヨーロッパの南端といえども12月末の気候が温暖といえるものではないことを体感したのでした。そのあと、フェリーに乗ってトルコ側のマルマリスまで一時間ちょっとの船旅をすることになります。エーゲ海を挟んでトルコ側にもギリシャ時代の遺跡があちこちに残っていることや、シシカバブのようなものをどちらでも食べるといった(ギリシャでは「スブラキ」という)食文化の類似性もあり、仲は良くないですが、ギリシャとトルコの文化的な近さが思い返されます。
Turky トルコ ボドラムBodorum
ギリシャのロードス島からフェリーで1時間ほどでトルコのマルマリスという街に着きます。そこからバスで3時間ほどかけてボドルム(ボドラム)というトルコのエーゲ海側の代表的な港湾都市、リゾート地に着きます。トルコのエーゲ海沿岸は、内陸部と違ってギリシャ側と同じような陽光あふれる、開放感漂うところでした。ドイツをはじめヨーロッパの北中部からリゾート地で過ごす旅行者が多く訪れる理由がよくわかりました。
Turky トルコ ヒエラポリス-パムッカレ
ボドラムからは、温泉からできた石灰華段丘であるパムッカレと古代ローマ遺跡で有名なヒエラポリスまでバスで向かいました。片道約3時間半の行程です。ヨーロッパからの観光客が当たり前に街を歩いているエーゲ海沿岸の地域から内陸へ入っていくと、トルコの伝統的な文化を感じられる風景に出会えます。通りを歩いているのはほとんどが男性で(女性は家の中に居るのでしょうか)スカーフをしていない男性は見かけません。後で訪れたイスタンブールのダウンタウンとは別世界です。その頃のこの地域では日本人が珍しかったのでしょうか、レストランで他の客が食事をごちそうしてくれたり、「日露戦争でバルチック艦隊をやっつけた東郷平八郎はすごいな」というようなことを話しかけられたりしました。カナダに住んでいてヨーロッパやアジアに旅行で出かけていた、その頃の私は、日本人だからという理由で歓迎されるという経験がなかったので、面映ゆい気持ちになった覚えがあります。ヒエラポリスの遺跡はその頃はまだ観光客が押し寄せるというような場所ではなく、丘陵に打ち捨てられた石造物が転がっているというような風景でした。遺跡のそばで放牧をしていた姉妹(多分)の笑顔が印象に残っています。
U.S.A. sandiego サンディエゴ から バハカリフォルニア
サンディエゴからメキシコ国境を越えて、カリフォルニア半島(バハカリフォルニア)のエンセナダまでは有料のハイウェイで快適なドライブが楽しめます。アメリカ有数の高級住宅地があるサンディエゴと国境を挟んだメキシコ側のティファナは、ほぼ隣接しているのですが、全くの別世界が広がります。このコースは何度か、メキシコ側のエンセナダやロ-サリ-ト周辺のお店に家具や民芸品を買い付けに行くのに利用したので懐かしく思い出します。
U.S.A. サンタフェ Santa Fe(New Mexico)からタオスTaos
アメリカ合衆国に、このような場所があるということを、ほとんどの日本人は知らないし、想像もできないのではないでしょうか。ニューメキシコ州の州都サンタフェからタオスのネイティブアメリカン居住地にあるタオスプエブロとその周辺を訪ねました。北米と南米の多くの場所を訪れたことのある私にとっても、この地域の文化的景観の多様性は衝撃でした。
Brazil ブラジル・  リオデジャネイロ・カーニバル
カナダのトロント大学で、規定の学科を履修し終えたものの、もらった成績では同大学の大学院へは進めそうにないので、他の大学院に応募しようか、残って成績を上げるためにより多くの科目を登録しようか迷っていた時に、ブラジルに居る友人から連絡が来て、リオのカーニバルに遊びに来ないかと誘われたのが、そこから始まる南米3か月の旅の始まりでした。そしてその結末が私の人生の(すでに何度目かの)大きな転換点となっていくのでした。南米での3か月は、それまで北米で7年過ごした中でしみ込んだ、価値観、ものの見方を大きく変えていきました。そのはじめとなる、リオのカーニバル中に街中で過ごした1週間は衝撃の連続でした。リオのカーニバルはすごい!
Argentine/Paraguay アルゼンチン・パラグアイ  Iguaz イグアスの滝
リオのカーニバルが終わって、南米大陸一人旅に出かけることにしました。カナダに帰ってからのことは考えずに、それまでのカナダでの生活をリセットするつもりで出発した3か月にわたる放浪の旅です。手始めに、イグアスの滝に行ってみることにしました。サンパウロに少し滞在してからバスで国境の町(イグアスの滝はブラジル、アルゼンチン、パラグアイ3か国の国境にある)に入り、アルゼンチン側の国立公園内にあるホテルに泊まって歩いて回りました。ナイアガラの滝は、公認のガイド資格を取って、観光客を案内するアルバイトをしていたので、毎日のように見ていたのですが、森林の中に点在する多くの滝が総合的に作り出す景観は、ナイアガラを上回る迫力でした。(水量はナイアガラの方が多いはずですが)
Argentine  アルゼンチン・ブエノスアイレス
イグアスの滝からバスで一晩かけてブエノスアイレスに着きました。そこは、ヨーロッパそのものでした。古き良きヨーロッパが残り続ける中で、若い人たちの中から変化を求める動きが起き続ける街、そんな印象の街でした。楽しむことに労力を惜しまない人たちは、平日でも2~3時間かけてディナーをとり、レストランは夜中12時を過ぎてから盛り上がるというのは、スペインやイタリヤと同じだと思いました。友人に案内してもらって街中を巡り数日を過ごしましたが、アルゼンチンタンゴ発祥の地、ラ・ボカ地区のカミニートとエビータのお墓をはじめとして、有名人のお墓が並ぶ、レコレータ墓地(彫刻が施された屋敷が並んでいるとしか思えない)が特に印象的でした。
argentine アルゼンチン・バルデス半島
ブエノスアイレスからバルデス半島まで約1400km、バスで丸一日かけて(夜行バス)付け根にある町プエルト・マドリンまでたどり着きました。この、世界遺産になっている動物の楽園はパタゴニア地方の北に位置します。プエルトマドリンの街中で見つけた旅行会社のツアーに参加して半島を廻りましたが、他の参加者はすべてブエノスアイレスからの客でした。ガイドの女の子が、私が日本の出身であることを知って、「彼の国である日本ではこのような海草を食べる習慣があるそうですよ。」と、海岸の岩場を歩いていて他のツアー客に説明すると、「おー」とどよめきが起きたのが忘れられません。南米を廻って思ったことの一つは、アルゼンチンの食生活が一番肉食に偏っているということです。海辺に生える草、海草を口にするなどとは思いもよらないことだったのでしょう。今では多少認識が変化したかもしれませんが・・・
argentine アルゼンチン・ ペリート・モレノ氷河
アルゼンチンの南端、チリ側のパイネ国立公園に接するペリート・モレノ氷河に行ってきました。バルデス半島からバスで直行48時間(もちろん人生最長のバス移動です)、南極大陸への入口であるフエゴ島まで100㎞ほどのリオ・ガレゴスまでたどり着き、すぐにまたバスを乗り換えて、氷河のあるロス グラシアレス国立公園への入口の町エル・カラファテに到着、ホテルに一泊後、氷河に向かうツアーに参加しました。カナダのトロントから出発して約2か月、約1万キロの距離をひたすら南に下ったことになります。「この氷河は近年、地球温暖化の影響で後退する氷河が多い中、後退していない氷河というのは珍しく、多数の氷河が存在するパタゴニアにおいても後退していない氷河は、この氷河を含めて3つしか存在していない。」と、ウィキペディアにあるように、カナディアンロッキーの氷河を見たことのある私にとっても比べものにならないくらいの圧倒的な迫力のある光景を目に焼き付けてくれました。この後、コモドーロ・リバダビアまでバスで北上し、さすがに疲れ果てて、そこから空路、サン・カルロス・デ・バリローチェまで飛んで、その後チリに入っていくことになります。
Argentine アルゼンチン・バリローチェ
ペリート・モレノ氷河を訪れた後、さらに南下して、南極の入口であるフエゴ島まで行く元気は残っておらず、バスで北上してコモドーロ・リバダビアという街まで行き、そこから飛行機で、バリローチェまでパタゴニアの大平原を飛び越したのでした。バリローチェはナウエル・ウアピ湖に面した都市でドイツ系の移民が多く、南米のスイスと呼ばれることもある、風光明媚なアルゼンチン人憧れのリゾートシティです。観光船に乗ったりしてナウエル・ウアピ湖の景観を楽しんだのち、またバスに乗ってアンデス山脈を越え、国境を越えてチリのプエルト・モントに向かいます。
Chile チリ・プエルトモントからサンチアゴ、そしてバルパライソへ
アルゼンチンのバリローチェから長距離バスで国境を越え、アンデス山脈の反対側になるチリのプエルトモントに着きました。ここの有名な魚市場では、魚種の多さにビックリ、アルゼンチンとの食文化の違いに驚かされました。そこからは列車に乗って首都のサンチアゴへ北上し、数日過ごした後、さらに北上してペルーに向かうべくバスに乗ったのですが、旧市街が世界遺産になっているバルパライソという港町に立ち寄りました。
Chile チリ アタカマ砂漠 チュキカマタ
バルパライソの隣町ビニャデルマールからバスに乗ってひたすら北上し、アントファガスタに着きました。そこから200㎞程行くと世界一乾燥しているといわれるアタカマ砂漠です。世界最大の露天掘り銅山であるチュキカマタも訪ねてみることにしました。
Peru ペルー・ アレキパ Arequipa
アレキパはペルー第二の都市で人口は約90万人、ヨーロッパ風の街並みが広がっています。チリとの国境を越えて北上し、やっとの思いでバスを乗り継いでたどり着きましたが、アンデスの山々を越えてクスコまでの道のりをまたバスで辿る勇気はなく、ここからは飛行機を使うことにしました。
Peru  ペルー・ クスコ、ウルバンバ渓谷
マチュピチュに行きたかったので、クスコからウルバンバ渓谷を辿ることになりました。観光客も結構いましたが、地元の住民の間でのマーケットやフロアに豚や鶏等の家畜が同乗している地元の方しか乗らないような車両に乗ってのマチュピチュまでの列車の旅など、懐かしい思い出です。
Peru  ペルー・ マチュピチュ
マチュピチュに行くのは大変でした。一つ手前の駅のアグアスカリエンテス(スペイン語で温泉の意味)で一泊し、温泉につかった後、翌日、徒歩で線路沿いを歩き、マチュピチュの駅からも徒歩で山頂の遺跡に上っていきました。1990年頃はそれほど観光客もいなくて、自由に遺跡内を歩き回れ、リャマたちとも触れ合いながら、インカの時代に思いをはせながら、一人ゆったりとした時を過ごせたことは、今思えば本当に幸せでした。
Peru  ペルー・  プーノ、チチカカ湖からボリビアへ
マチュピチュからクスコに戻り、バスでチチカカ湖の沿岸にあるプーノに行きました。葦でできた湖中の浮島、ウロス島を訪れ、葦船の前で民芸品を売っている少女に出会いました。プーノからはチチカカ湖沿いをバスで走り、国境を越えてボリビアの、世界一標高の高い(約4000m)首都ラパスに向かいます。
Bolivia  ボリビア
ボリビアには1週間ほどいたのですが、あまり多くの写真が残っていません。ペルーのアンデス高山地域から国境を越えてラパスまで来て何日か過ごし、4000m近い標高ということで、高山病にこそなりませんでしたが体が疲れて来ていたのかもしれません。標高400m程度の高原の街サンタクルスまで下りてきたら、(サンタクルスもアンデス地域と比べたら全く違った開放的な雰囲気の町でしたが)より陽光に溢れた世界が待っているであろうブラジルに戻りたくなって、飛行機を使って、世界一の湿原といわれるパンタナールの入口であるコルンバまでとぶことにしたのでした。
Brazil ブラジル・パンタナール湿原
ボリビアのサンタクルスから飛行機でブラジルのコルンバまで飛び、世界一の大湿原といわれるパンタナール湿原に入っていきました。アンデスの乾燥した冷涼な気候とのなんという違い!熱帯性湿地の真っただ中で、カピバラの頭蓋骨を見つけたり、ワニに睨まれながら、生まれて初めてのピラニア釣りをしたりして過ごしました。
Brazil ブラジル・サルバドール市街 バイーア
パンタナール湿原からはノルテ(北)といわれる、アマゾン川流域を含むブラジル北部地域に向かいましたが、まず行ってみたかったのがサルバドールでした。ポルトガル植民地時代の最初の首都として、ブラジル人にとっての古都といわれるだけあって、旧市街はまさにポルトガルの街なかそのものでした。サンパウロなどに比べて、圧倒的に黒人系の人たちが多いことを除けば、写真だけ見ればリスボンの旧市街といわれても区別がつかないと思います。アズレージョ(Azulejo)と呼ばれる青タイルで装飾された家を見ても、ポルトガルを旅した時のことを思い出しました。
Brazil ・ブラジル北部(アマゾン)
サルバドールからは、アマゾン川河口に近い街ベレンに飛んで市場をブラブラしながら2、3日過ごし、アマゾン内陸の最大都市マナウスに向かいました(もちろん飛行機で)。マナウスは市域の人口が約209万人(2016年)の大都市ですが船で少し上流に向かうと未踏のジャングルが広がります。日帰りのツアーでしたが、船でジャングルの入口の様子を見せてもらいました。オオオニバスに乗り移る時には緊張しました。マナウスからは南大西洋岸の街フォータレーザに飛んで本物の海のビーチ(マナウスにもアマゾン川のビーチがあります)で2、3日過ごした後、リオのカーニバルを一緒に過ごした友人家族が待ってくれているブラジルの首都ブラジリアに向けて3時間ほどの空の旅をしたのでした。
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