Hi, I'm Itsuo Terasaki 寺前逸雄!

ここでは、私が訪れた、日本とカナダ以外の地域で、印象に残った風景、改めて今、残像として記憶に残したいと思う風景の写真を、一部補正したものも含めご紹介します。私が美しいと感じるモノがここに画像として残されたと思っていただければ幸いです。Here I will introduce some photos, some of which have been partially edited, of the landscapes that made an impression on me in the areas outside of Japan and Canada that I have visited, and the landscapes that I would like to leave in my memory as afterimages. I hope that you will find the things that I find beautiful preserved in the images here.

U.S.A. sandiego サンディエゴ から バハカリフォルニア
サンディエゴからメキシコ国境を越えて、カリフォルニア半島(バハカリフォルニア)のエンセナダまでは有料のハイウェイで快適なドライブが楽しめます。アメリカ有数の高級住宅地があるサンディエゴと国境を挟んだメキシコ側のティファナは、ほぼ隣接しているのですが、全くの別世界が広がります。このコースは何度か、メキシコ側のエンセナダやロ-サリ-ト周辺のお店に家具や民芸品を買い付けに行くのに利用したので懐かしく思い出します。
U.S.A. サンタフェ Santa Fe(New Mexico)からタオスTaos
アメリカ合衆国に、このような場所があるということを、ほとんどの日本人は知らないし、想像もできないのではないでしょうか。ニューメキシコ州の州都サンタフェからタオスのネイティブアメリカン居住地にあるタオスプエブロとその周辺を訪ねました。北米と南米の多くの場所を訪れたことのある私にとっても、この地域の文化的景観の多様性は衝撃でした。
Brazil ブラジル・  リオデジャネイロ・カーニバル
カナダのトロント大学で、規定の学科を履修し終えたものの、もらった成績では同大学の大学院へは進めそうにないので、他の大学院に応募しようか、残って成績を上げるためにより多くの科目を登録しようか迷っていた時に、ブラジルに居る友人から連絡が来て、リオのカーニバルに遊びに来ないかと誘われたのが、そこから始まる南米3か月の旅の始まりでした。そしてその結末が私の人生の(すでに何度目かの)大きな転換点となっていくのでした。南米での3か月は、それまで北米で7年過ごした中でしみ込んだ、価値観、ものの見方を大きく変えていきました。そのはじめとなる、リオのカーニバル中に街中で過ごした1週間は衝撃の連続でした。リオのカーニバルはすごい!
Argentine/Paraguay アルゼンチン・パラグアイ  Iguaz イグアスの滝
リオのカーニバルが終わって、南米大陸一人旅に出かけることにしました。カナダに帰ってからのことは考えずに、それまでのカナダでの生活をリセットするつもりで出発した3か月にわたる放浪の旅です。手始めに、イグアスの滝に行ってみることにしました。サンパウロに少し滞在してからバスで国境の町(イグアスの滝はブラジル、アルゼンチン、パラグアイ3か国の国境にある)に入り、アルゼンチン側の国立公園内にあるホテルに泊まって歩いて回りました。ナイアガラの滝は、公認のガイド資格を取って、観光客を案内するアルバイトをしていたので、毎日のように見ていたのですが、森林の中に点在する多くの滝が総合的に作り出す景観は、ナイアガラを上回る迫力でした。(水量はナイアガラの方が多いはずですが)
Argentine  アルゼンチン・ブエノスアイレス
イグアスの滝からバスで一晩かけてブエノスアイレスに着きました。そこは、ヨーロッパそのものでした。古き良きヨーロッパが残り続ける中で、若い人たちの中から変化を求める動きが起き続ける街、そんな印象の街でした。楽しむことに労力を惜しまない人たちは、平日でも2~3時間かけてディナーをとり、レストランは夜中12時を過ぎてから盛り上がるというのは、スペインやイタリヤと同じだと思いました。友人に案内してもらって街中を巡り数日を過ごしましたが、アルゼンチンタンゴ発祥の地、ラ・ボカ地区のカミニートとエビータのお墓をはじめとして、有名人のお墓が並ぶ、レコレータ墓地(彫刻が施された屋敷が並んでいるとしか思えない)が特に印象的でした。
argentine アルゼンチン・バルデス半島
ブエノスアイレスからバルデス半島まで約1400km、バスで丸一日かけて(夜行バス)付け根にある町プエルト・マドリンまでたどり着きました。この、世界遺産になっている動物の楽園はパタゴニア地方の北に位置します。プエルトマドリンの街中で見つけた旅行会社のツアーに参加して半島を廻りましたが、他の参加者はすべてブエノスアイレスからの客でした。ガイドの女の子が、私が日本の出身であることを知って、「彼の国である日本ではこのような海草を食べる習慣があるそうですよ。」と、海岸の岩場を歩いていて他のツアー客に説明すると、「おー」とどよめきが起きたのが忘れられません。南米を廻って思ったことの一つは、アルゼンチンの食生活が一番肉食に偏っているということです。海辺に生える草、海草を口にするなどとは思いもよらないことだったのでしょう。今では多少認識が変化したかもしれませんが・・・
argentine アルゼンチン・ ペリート・モレノ氷河
アルゼンチンの南端、チリ側のパイネ国立公園に接するペリート・モレノ氷河に行ってきました。バルデス半島からバスで直行48時間(もちろん人生最長のバス移動です)、南極大陸への入口であるフエゴ島まで100㎞ほどのリオ・ガレゴスまでたどり着き、すぐにまたバスを乗り換えて、氷河のあるロス グラシアレス国立公園への入口の町エル・カラファテに到着、ホテルに一泊後、氷河に向かうツアーに参加しました。カナダのトロントから出発して約2か月、約1万キロの距離をひたすら南に下ったことになります。「この氷河は近年、地球温暖化の影響で後退する氷河が多い中、後退していない氷河というのは珍しく、多数の氷河が存在するパタゴニアにおいても後退していない氷河は、この氷河を含めて3つしか存在していない。」と、ウィキペディアにあるように、カナディアンロッキーの氷河を見たことのある私にとっても比べものにならないくらいの圧倒的な迫力のある光景を目に焼き付けてくれました。この後、コモドーロ・リバダビアまでバスで北上し、さすがに疲れ果てて、そこから空路、サン・カルロス・デ・バリローチェまで飛んで、その後チリに入っていくことになります。
Peru ペルー・ アレキパ Arequipa
アレキパはペルー第二の都市で人口は約90万人、ヨーロッパ風の街並みが広がっています。チリとの国境を越えて北上し、やっとの思いでバスを乗り継いでたどり着きましたが、アンデスの山々を越えてクスコまでの道のりをまたバスで辿る勇気はなく、ここからは飛行機を使うことにしました。
Peru  ペルー・ クスコ、ウルバンバ渓谷
マチュピチュに行きたかったので、クスコからウルバンバ渓谷を辿ることになりました。観光客も結構いましたが、地元の住民の間でのマーケットやフロアに豚や鶏等の家畜が同乗している地元の方しか乗らないような車両に乗ってのマチュピチュまでの列車の旅など、懐かしい思い出です。
Peru  ペルー・ マチュピチュ
マチュピチュに行くのは大変でした。一つ手前の駅のアグアスカリエンテス(スペイン語で温泉の意味)で一泊し、温泉につかった後、翌日、徒歩で線路沿いを歩き、マチュピチュの駅からも徒歩で山頂の遺跡に上っていきました。1990年頃はそれほど観光客もいなくて、自由に遺跡内を歩き回れ、リャマたちとも触れ合いながら、インカの時代に思いをはせながら、一人ゆったりとした時を過ごせたことは、今思えば本当に幸せでした。
Peru  ペルー・  プーノ、チチカカ湖からボリビアへ
マチュピチュからクスコに戻り、バスでチチカカ湖の沿岸にあるプーノに行きました。葦でできた湖中の浮島、ウロス島を訪れ、葦船の前で民芸品を売っている少女に出会いました。プーノからはチチカカ湖沿いをバスで走り、国境を越えてボリビアの、世界一標高の高い(約4000m)首都ラパスに向かいます。
Bolivia  ボリビア
ボリビアには1週間ほどいたのですが、あまり多くの写真が残っていません。ペルーのアンデス高山地域から国境を越えてラパスまで来て何日か過ごし、4000m近い標高ということで、高山病にこそなりませんでしたが体が疲れて来ていたのかもしれません。標高400m程度の高原の街サンタクルスまで下りてきたら、(サンタクルスもアンデス地域と比べたら全く違った開放的な雰囲気の町でしたが)より陽光に溢れた世界が待っているであろうブラジルに戻りたくなって、飛行機を使って、世界一の湿原といわれるパンタナールの入口であるコルンバまでとぶことにしたのでした。
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